ボーナスでワンピースのデジタルカラー版全巻購入したMiDです。
実質半額で、以外と3万円くらいでした。
大人になってからのウソップ編は沁みるね。
自分の両親が死んだことをカヤには言わず、
同じ境遇でほっとけなかった。ウソップの嘘に振り回されながらも、
その理由をわかって見守ってる村人との絆。
すごく繊細で、ウソップの魅力が詰まった編です。
通勤中の電車で涙ぐみながら、週も後半に差しかかり、
土曜は友達と鉄板焼を喰えるということで、よし頑張るぞ、と。
アイツが一生喋ってるんですよね。
喋ってる間、手がちゃんと止まってることを確認しました。
挙句、普段私が在宅にしている水曜日の午前にMTG入れてきやがった。
午前在宅すらできやしない。
さて殺そうかと昨日から持ち歩いているナイフを取るために
カバンをゴソゴソしていると、ヒーロー参上です。
「お前、ちょっと喋りすぎだぞ」
隣に座っているおそらく同期に、
やや冗談めかしくではありますが注意が入ったのです。
嗚呼、殺さずにすんだと安堵したのも束の間、
「いやオレはこうやって喋って、後の三巡を買ってるんスよ。
こうゆう雑談が活きてくるんで。」
私の理論をアップデートする時がきたようだ。
殺意に身を委ねるとしよう。
基本的に長い目で見る視点はそれなりに大事だと思うのです。
今の自分があるのは過去の自分があるからでしょうが、
例えばカレーが好きだったとして、なぜ好きなのか、
いつから好きになったのかを論理的に説明するのは難しい。
人間は忘れる生き物だし、因果も1:1ではないからである。
昔母親が作ってくれたカレーが美味しかったから、
という理由を仮説として、では美味しいピーマンの炒め物も作っていたはずである。
しかし子供のあなたはそれを好きになっただろうか。
その時の空腹状態を思い出せるか?
空腹だったから別になんでもよかったんじゃないか。
様々な要素が組み上がり、昔の母親のカレーという概念が生じ、
これもまたカレーが好きであるひとつの要因でしかないのです。
とした場合、当時意味がないと思っていた森羅万象が、
今の自分に、それも気づかないくらいのインパクトを与えているかもしれない。
そしてこれは現在と未来にも通ずる。
意味のない今は、未来に意味を持つのかもしれない。
という昨日までの私の思想。
以下のアップデートファイルを配信します。
意図的に意味のないことをするのはやめましょう。
結果的に役に立つことはあるが、他人の足を引っ張ってまで、
あるいはただその瞬間の議論に打ち勝つために、思想もなく後の三巡を買うな。
あくまでも道草は、目的地を目指して歩いていたが、
脇道に逸れたり、時には目的地を変更しても良いということ。
ハナから目的地と逆に向かって歩くものではないと考えるのです。

