引き出しを開けない

Philosophy

理を以て貴しと為すMiDです。
終天教団の恋愛ルートで5回ゲームオーバーになって台パンしました。
わかんねぇよ。

いわゆるコミュ力という概念があります。

そしてこれが高いというのは、
世間的にはその場のノリに合わせた会話ができること、
引き出しの多さが評価されることが多いでしょう。

しかし、引き出しが多いだけでは、
いわゆる喋りすぎるタイプのコミュ障という概念になったりします。

喋るのが苦手な人もいる中で、喋れるだけの人は、
意外と聞き手の満足を得られていない可能性があります。


具体例です。

友人との会話で「夢とか見る?」と聞かれ
「あ〜、毎日見るよ」と答えます。

「え、毎日?!どんな夢見るの?」とさらに聞かれますが、
ここで面白い夢BEST30とか話せても話すべきではないのかな、と。

夢の話題を降ってきたからには、
おそらく夢について話したいことが友人にはあるのではないか。

しかし毎日見るという希少性に食いつかない訳にもいかないという
友人の気遣いがあるのかもしれない。

ここでそれに乗っかってしまうと、
友人の夢の話が弱くなってしまう恐れがある。

ならば「どんな夢を見る?」という問いに
あえて答えず「いや、お前の夢の話聞かせてよ、興味ある!」
と切る方が話は上手く進むはずだ。

事実、彼は中学校の頃に好きだった女の子に前から、
私から後ろから同時にナイフで刺される夢を見たことを嬉々として話していました。

そして同級生が出てくる夢か〜、という話題で次は私の順番、
お前が失踪した夢をと進展するわけです。


会話には誘導があります。

本題にはいる上での空気づくりから始める人、
それが上手く/自然にできない人もいる中で、
多分引き出しの数の暴力でこれを潰してしまうのは良くない。

あえて引き出しを閉じておく。求められた時にこれを開ける。

本当に引き出しが多い人は、実は多いとバレていないか、
わかる人だけわかる感じに見えていると思います。

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