過程を余計に推測しない

Philosophy

爆散するMiD課長です。

元ネタこちら、結構好きです。

結果と過程。多いですね、考えることと解釈が。

仕事においては結果が全てなのか、
あるいは考え方やロジック、意図などは必要なのか。

では必要な過程はアウトプットに含めるべきか、
可能な限り結論のみに絞るべきなのか。

難しいですね。

個人的には現在と過去とかに近しい概念だと思っていて、
過去という過程を踏まえて現在の自分/あなたがいる
、という関係性。

こちらに寄せるのであれば、
自分の過程は大事だが、開示していない他人の過程に踏み込むのはノンデリ、
粋じゃねぇなと思うのです。

たとえば自分が過去に受験に落ちたとして、
その悔しさや落ちたとしても幸せだという教訓にもなり、
そして現在を形づくるかけがえのないものです。

しかし他人が受験に落ちたことを
「あの人は受験失敗したから…」と言うのは違う。

その人が現在幸せなら、受験の失敗を勝手に解釈したのならそれでいいだろう。

これを結果と過程に当てはめるならば、
アウトプットとして結果は自他ともに見て評価しても良い。

そしてなぜその結果に至ったのか、
過程を記録しても良いだろう。必要な一部は開示して。

しかし、他人の開示していない過程に踏み込むのは危険だ。
「〜〜したいのかもしれないが」「君は〜〜と考えてるんだろうけど」を
外した時に大きく信頼を損ねる可能性がある

大学で先輩に「資料のデザインを凝りたいのは良いが…」
いや、別に凝ってないが?

上司に「このグラフにしたいのはわかるけど…」
いや別になんでもいいが?仕事興味ねぇし、お前が決めていいよ。

こうゆうノンデリが積み重なると
第2回ニコニコ老人会の布団ちゃんみたいになります。

布団ちゃんは1回ガチで干して欲しい。

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