知識の連続性

Philosophy

バック転だけができないMiDです。

アベプラで日本語の曖昧な表現と称して、
特有の言い回しや慣用句などを議題に、
若者に言葉が通じないみたいなことが取り上げられました。

たとえば「1時間弱」は50分のことか1時間10分なのか。

正しくは50分のことですが、
意外と間違えて覚えている人や間違えたことがある人は多いと思います。

私はこうゆうの取り上げて時間使って
マジメに議論するのがナンセンス
だと思うんです。


知識は基本的には連続です。

単発の豆知識は飲み会でちょっとおもろいくらいで、
あまり価値がありません。

体系的でなぜか/こういう場合はどうかなど、
繋がる知識の方が遥かに汎用性が高く、深堀もできます。

そしてこういった知識体系は一朝一夕では手に入りません。
inputとoutputを積み重ねて経験のように価値となります。

言語なんかはまさにこの代表。

英語でAppleと読めたところで
小学生低学年のヒーローになるだけです。

実際に英語を喋れるとか、読めるようになるには
時間と手間をかけて勉強しなければなりません。

Appleだけを学べば良いわけではないのです。

とした時に、日本語の特殊な表現について、
いちいち「今の若者には言語が通じないな〜笑」
とか言ってる時間は合理性がありません。

チリツモでめっちゃ無駄な時間になります。

「1時間弱くらいでできる?」「はい、70分くらいでできます」
「1時間弱って1時間より少ないって意味だよ〜」
「え!そうなんですか、気をつけます」「は〜い」でいいのよ。

これを繰り返せばもっと知識は増えるだろうに。

連続性の意識がないと、変なところでつまづいて途切れる。

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