極論から考える

Philosophy

MiDです。

ある知人とのお話です。彼女は言いました。

真面目な人が幸せになる世の中になってほしい。

ここで私は発作を起こします。
「真面目ってなんだ?説明してくれ」
ほんっとやなヤツですね笑

一般的にはそこまで引っかかる発言ではないのだと思うのですが、
私は「幸せ」についてよく考えるし、
当時は絶賛仕事をいかにサボるかを考えていた最中ですので、
いわゆる逆鱗に触れたというやつです。運が悪かったな。


「真面目」ってなんでしょうね?
例えば仕事ならば、
「遅刻せずに8時間働くこと」はきっと真面目でしょうか。

では遅刻した時点で真面目ではないのでしょうか?
30分遅刻したので上司に誠実に謝罪し、普段よりも仕事を頑張って、
30分帰りを遅らせる。これは不真面目なんでしょうか?

内容はどうでしょう。
気持ち込めてやることが真面目なのか、
無感情でもミスなくこなすことが真面目なのか、
あるいは成長すれば真面目なのか。

長い夜になるよ?!
終わりません、こんなミクロな話ばっかりしてても。
まだジャンル「仕事」だけでこの有様です。


もっと端から考えた方がいいでしょう。
「この条件を満たすならば真面目」「逆にこれならば不真面目」
こうゆう指標です。

たとえば、犯罪者は真面目か?Noで良いですよね。
ギャンブルしないのは真面目か?Yesで良いですね。
こんなんでいいんですよ。

だんだん条件を狭くしていって、ある程度のところで煮詰まる。
そこを落とし所とする、人によるよねって感じで。

ゲームのバランス調整とか、そんな感じらしいです。
たとえば移動速度が速すぎて調整が必要なキャラは、
一度そのゲームで最も遅いキャラに合わせてみるそうです。
そしてちょっとずつ上げて良い塩梅を見つけます。

この考え方のいいところは、精神的疲労が減ることです。

細かいところから考えると、
結論までの距離が中々見えてこないですから、
終わりが決まってないことのストレスは計り知れません。

極論というのはつまり、
「ここからここまでの間だけで考えよう」「必ず結論がここにある」
という前提を定めるものです。

成田悠輔のような、頭のいい人が極端な例示をしがちなのは
こういった理屈なんじゃないかと思います。

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