多様性を創ること

Philosophy

次期自由の女神、MiDです。

アベプラで、もはや何回目かわからない「多様性」の議題です。

多様性と言うと、3ターンくらいで
女性優遇とかいうワードが出てくるので非常に危険です。
フェミと鬱モコキ八人衆に命を狙われます。

基本的にまともな人が多い場では、
多様性は自然の成り行きに任せて、発生したら認めてもいいよね、
ってなりがちです。

私もそんなもんだと思ってました。
なんと5歳くらいからそう思ってました。

グローバル化という概念を知った頃でして、
おばあちゃんがミカンの皮を捨てていたのを見て、
スラムだったらこれ捨てねぇよな、と思いました。

このミカンの皮に価値を見出す人もいる、
それをなんとも思わなくなることがグローバル化であり、
今思えば多様性に対する礎の発想です。

しかし最近は、多様性をあえて創るのはどうか
と考えるようになった
のです。

前提として、社会人になって最も大きなショックだったのは、
意外と社会や業界、大人は完璧ではない、ということ。

なんとなく、警察は完璧だとか、
学校の仕組みは完成されている、と。

だから基本的には発展しにくい世の中で
歯車として生きていくものだと思っていたのですが、
今はいくらでもイノベーションを起こせる余地があると思っています。

だとしたら、日本人の性質上、保守的な人が多いですから、
どこかで必ず煮詰まる気がします。

自然の成り行きに任せたら、
いつか止まる業界や概念がすごく多いと思うんです。

実際日本の政治は30年間、
低い位置で動きませんでしたよね。
自民のジジィに権力が偏った結果です。

ならばあえて、若いやつを大量に投入したらどうか、
女性の割合を制度で増やしたらどうか。

良くも悪くも変化は起きそうなものです。

民間の会社や学校もそうです。
停滞しているところにこそ、多様性をあえて創る
動きをするのは面白そうではないか。

いっそそこに合理的な理由なんていらない。

しかし多様性を生み出すというのは、
いわばカテゴライズを生み出すということ。

ジェンダーで言うと、LGBTQなんてまさに、このどれかに当てはめたがる。
もっと曖昧で繊細な好みだってどれかに引っ張られます。

極端な例だと、あなたは善人か悪人か。
どちらかで極端にカテゴライズするのは難しいが、
決めなければならないとなると大変なストレスです。

「無敵の人」という名詞もこれに近い。
何となく不幸で貯金がない人が、
「ああ自分は無敵の人だから立ち上がろう」となっては危険です。

カテゴライズは思想の偏りや曖昧さを四捨五入するような行為です。

ここで「目的」があるなら多様化するし、
ないならばしない、というのはどうか。

これも難しい。
やらない理由なんていくらでもほざけるので、
結果停滞したまま潰れていく。

さあトレードオフです。
私の結論、理由がなくともある程度は様性は生み出すべきである。

ツイフェミが掃いて捨てるほどいる世の中の方が、
混沌とした面白い世の中になるからね。

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