多様性と概念とカテゴライズと価値基準

Philosophy

真の多様性、MiDです。

「馬鹿がオレに迷惑をかけない社会」を望むわけです。

ネットの普及は恐ろしいもので、
元来関わるはずのなかった人間とも触れることが出来るようになりました。

学者とコメ欄が一同に会する時代です。

「多様性がある」状態とはこの、インターネットの海を指すのか。
「多様性が認められる」とは学者としての生き方と
コメ欄のゴミが両者それぞれ幸せになる状態か。

「馬鹿がオレに迷惑をかけない社会」とは後者のように思いつつ、
しかしネットの普及や技術の進歩は好ましいという立場を取ります。


私の英語の師は「その辺に外国人がいても、外国語が聞こえても、
誰もなんとも思わない状態が多様化だ」
と言っていました。

この考え方は素晴らしいと思うのです。
言葉を変えるならば「概念」の消失である。

国という概念がなければ、
外国人や外国語といった概念もまた生まれない。

そしてこの概念により「カテゴライズ」が生まれる。

国に対して「国民」「外国人」「母国語」「外国語」といったように、
分かりやすく二分するような。

多様性とはこのカテゴライズの消失、
あるいは不可視化であるのではないか。

しかし一般的に多様化といいつつ、
LGBTQというカテゴライズに当てはめている
わけです。


おそらく、人間がつくる社会において、これが限界なのかなと。

お金が価値基準の統一として生まれたように、
人間が処理できるように定めた尺度において、
これをはみ出すものに名称を与え、ひとつのカテゴリとして許容しているのが実態である。

ならばAIを活用してはどうか。

データがリッチになり、人間では処理しきれない情報量をさばき、
数値化/カテゴライズをせずとも人間を評価できるようになれば。

AIにより細分化された価値基準と言ってもいい。
価値基準が自分にのみ意味を持つと言ってもいい。

そんな200年後くらいの社会。

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