利己的に追求する社会全体の利益

Philosophy

MiDです。

私は頭がおかしいので、
帰り道に私が私にふと問いかけてきたので全力で答えます。

「お前にとって最も大切なのは、自分?恋人?友達?」

食い気味に「自分。」

「オレは恋人だな。お前は自己中心的だ。

何をもって自己中心的と呼ぶのかという話だ。
社会全体の幸せを考えるならば自分と答えるべきだ。」

もう1人の自分「相棒」と頭の中あるいはマスクの下で語り合うのです。


さて「賢者の贈り物」という物語を知っていますか?

貧しい恋人同士がいました。
唯一持っていたのは男の祖父の形見である懐中時計でした。

女は長い髪を切ってこれを売り、そのお金で懐中時計に取り付ける
立派なチェーンを買いました。男は女の長い髪を梳かす立派な櫛を、
懐中時計を売ったお金で買いました。

時計を売ってしまったのでチェーンも、髪を切ってしまったので櫛も
意味がなくなってしまいましたが、愛は深まりましたとさ。

他人を慮る話の究極系です。素敵なお話ですね。

しかし理論値でしかない。
一方の発想が違うだけでこの物語は成立しない。

自分よりも他人を優先するということで
全体の利益を上げるためには、この理論値を常に出し続けることになる。

人間が完璧である、という前提と言い換えてもいい。

こんなことは友達同士でも、恋人同士でもありえませんよね。
囚人のジレンマに近い概念です。

では理論値の少し下の利益は何か。
これが自分の幸せを追求することです。

賢者の贈り物の話であれば、立派な時計や美しい髪があり、
恋人同士で貧しいながらも共に暮らすことだって幸せ
でしょう。

また自分にとっての幸せと他人にとっての幸せは異なるし、
互いに理解し合うことだって簡単ではありません。

結果的に各々が自分の幸せを追求する方が
全体の幸福度は上がるという話です。

むしろここで、自己満足ために他人を優先する方が利己的とも取れるかもしれませんよね。

と、私が私を論破してやりました。

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