目覚めのアラームを黒棺の完全詠唱にしようか悩んでいるMiDです。
実はあれコーヒーこぼすことを
めっちゃオシャレに言ってる説があるらしいですよ。
「過去」に囚われすぎる人って多いですよね。
もちろん全て切り離して生きることは不可能で、
過去の積み重ねが現在であることは正しいでしょう。
しかし積み重ねた過去を踏み台とするのか、
背負って共に潰れるかは全く意味が異なります。
言い換えるならば、過去に囚われすぎる人ってのは
「せっかち」なんじゃないかと思うんです。
これはどういうことか。
たとえば「生まれて/コーヒーこぼして/死んだ」という
3秒くらいの人生を歩んだ人は「コーヒーこぼした人生」になります。
これがもう少し長い人生になれば、
もうちょっと意味を持った人生になりそうですよね。
少なくとも80歳で「あなたの人生はコーヒーをこぼす為にありました」
なんて人はいないでしょう。
こう考えると、20歳そこらで
自分の人生の意味を過去から見つけ出すのは早計ですよね。
明日には人生の意味なんか変わっているかもしれないのに。
ほら、せっかちだ。
焦らずいこうぜ、はんじょう。

