自認ベヨネッタのMiDです。
ジャンキャン上Bだけはできません。
FFタクティクスに続き、
トライアングルストラテジーというストラテジーゲームにハマってました。
ストーリーはいい感じ、選択によって物語の見え方が変わる作りも悪くない。
自称思想家の諸君には是非とも画面の前で演説しながらやって欲しい。
ただバトルの幅は広くないというか、
キャラごとのカスタマイズはあんまりできない、
たとえば火力特化でこいつさえ動けば勝てるみたいなのはできません。
結果面白いけど1周目で終了です。
ハンドラって凄かったんだな。GW中に120hでクリアしたゲームです。
さて、この1周はいわゆるベネディクトルートに進んだわけです。
ロランはなんか腑抜けてる。
支配権を委ねるだけでは何も解決しない。AIに任せるなら別だが。
フレデリカは先の話がノープランなのがねぇ。
要はオレが全てを支配すれば、守りたいものは全部守れんだろ、
というベネディクトルートが妥当だと感じたのです。
ベネディクト含めてそれぞれが別の想いをかかえて、戦う。
自分の幸せを最大化させることが社会全体の幸せの最大化だ、
という思想の私にはこれが合っている気がしました。
しかしふと、私がこのゲームの登場人物だったらどうしようか、と悩むのです。
このゲームの選択が重いゆえですね。
選択次第で人が死ぬとか国が滅ぶとか、そんなんばっかです。
中には愛憎とか、そうゆうのに巻き込まれたくねぇから1人が好きなんだ、
ってことを突きつけられた思いです。
自分の感性は嫌いではない。
思想をもとに迷わずに進めるところは良いところだと思っています。
反面、それを他者に強要することは好まない。
要は責任負いたくないってタイプです。
お前はお前で勝手に幸せになれ、という。
としたときに、いずれかの物語に参画することは、
他者との共有にたどり着くわけです。
それが仮に自分がつくりあげた物語で自分が主役だったとしても。
ならば世界をイヴァリースとして、たくさんのNPCがいるとして、
ラムザは私ではなく、ラムザを介して私はプレイヤーである方が良いのではないか。
主観であって主役ではない。仮想現実とか、そんな世界ならば。

