床に落ちてるシナシナの春巻きを食べるゴキブリ、MiDです。
いつかパリパリの春巻きを食べたいものだな。
私は教育を根本から変えたい。
五教科の教科書なんて化石だ。
現代のゲーム代表、ファイナルファンタジー16よりもまるで情報量がない。
そんなもんに10数年もかけて、
しかも楽しくないっていう、笑えない冗談です。
私は教育のひとつの柱として
「前提の思想」を教育すべきだと思う。
たとえば自分にとっての常識と、他人にとっての常識は違う、とか。
人の価値観や考え方をむやみに否定せず
無理に理解はする必要はないが、そうゆう考え方もあるんだ
と自然に見るべきだ、とか。
改めて言われるとそりゃそうだ、って感じですが、
そんな価値観を幼少期に得られなかった場合、
歳を取ればとるほど後天的に習得するのは難しく、
ふとした時に心無い言葉を言ってしまいます。
人に親切にするのが当たり前だった人は
「〜〜してあげた」って表現はしない、とか。
私の最近の推しの思想は
「ポジティブの競合はポジティブである」ということです。
人生のキーワードのひとつは「選択」ですが
選び難い選択とはどんなものか。
「揚げたてのパリパリの春巻き」「床に落ちたシナシナの春巻き」であれば
どちらを食べたいかと聞かれれば、明らかに前者でしょう。
これは実質、選択肢になっていないわけです。
しかしここで「揚げたての春巻きを食う」
「床に落ちたシナシナの春巻きを食う代わりに、1万円貰える」であれば、
ちょっと迷います。
なぜ迷ったのか、美味しい春巻きと1万円のポジティブ同士で
天秤にかけたからでしょう。
戦いは正義と悪ではなく、正義と別の正義の間で発生する
とかも似た概念です。
万人が一方的に支持するような選択肢と、
一方的に非難される選択肢があった場合、
なんの疑問もなく、考える時間も余地もなく、前者が選択されるのです。
そしてこれは人生にも発展する。
「どう不幸になるか」を考える人は、まずいません。
仕事においてはのんびりゆとりのある働き方をするのか
それを犠牲に高い給料を得るのか。
結婚して家族を得るのか、独身で自由を手に入れるか。
休みの日にゲームをするのか、旅行をするのか。
人生は「時間」でもあるので、これらの選択はトレードオフです。
つまり、ポジティブを取捨選択しなければならない。
どのポジティブと自身の価値観、幸せの結び付きがあるかを理解し
効果的なポジティブを選び続けられるか。
やはりFF16は良い教材になりそうですね。
市井の幸せと、大罪人シドの正義の対立。
大義を掲げることの危うさとか。

