別にどっちでもいい派のMiDです。
甘いものあんま好きじゃねぇし、どっちも滅びればいいんじゃないか?
先日友人と話していて
「お前は言ってることは間違ってないかもしれないが、言い方が悪い」
と指摘を受けました。
「もっと差別をするべきだ。」
と言っただけなんですけどね。
何がダメなんだと聞いても当たり前だろと言われて詰んでる。
まあマジで分かってないわけではありません。
当たり前です。
しかし話を最後まで聞かない奴、
主に上司とかXの沼の方々に辟易した結果、
最初に強めの言葉で結論を言うことに慣れてしまいました。
そんなに悪い事だとは思ってないので、
一旦直す気はないのですが、ログではこの差別容認発言を深掘りたいのです。
まず差別とは大別すると「争い」だと思うんです。
生まれや育ち、あるいはいわれのない概念を根拠とした分断ですよね。
主にどちらかの陣営に立ち、黒人とかオジサンとか、
何故か立場が弱いことにされている側が一方的に攻撃される。
もちろん手を出さない人間が大多数ではあるが。
あるいはそんな姿を見た第三者が
「かわいそうだ」という大義名分を掲げてトンデモ報復に出る。
FFに黒人が出ないのは差別だ!という有り得ない角度で球を投げてくるわけです。
サッズ嫌いな奴いねぇよ。

さて差別する者、差別される者、沼の者と3つの勢力が揃いました。
ここに第4の勢力を台頭させるべきだと考えるのです。
冷笑の者。
「中国人は四つ脚やったら机とイス以外何でも食うぞ、ンナハハハ!」
「(体調を心配してくれる黒人の先生に対して) 顔色が悪いのは先生ですよ」
これです。
差別を日常会話の一部、くだらねぇひと時に落とし込んでしまえばいい。
きのこたけのこ戦争みたいなもんです。
すごく過激な言葉で相手をまくし立てても、
くだらねぇな、またやってんのか笑になるように。
あれだって一歩間違えれば味覚や価値観の否定ですからね。
もし現代が技術より食が発展した社会だったならば、危なかったです。
ここで「本当に傷ついた人がいる」や「根深い歴史がある」
といった反論があるでしょう。
まあ一理ある。が、そこは感受性を捨てるべきだと考えます。
反面教師です。
「もっと女性の権利を守るべきだ」「動物がかわいそうだ」
でツイフェミのヴィーガンが爆誕したわけで。
倫理的であり優しいなと正直思いますよ?
でも目的意識に乏しいな。
「今生きてる人が、みんな幸せになる」
のが最終目的だと考えます。
実際はまだ実現不可能だと思うので、
まずは自分が幸せになることをみんなが考え、
結果として社会全体の幸福度を最大化させるべきだと考えます。
とした時に、少なくとも今被害を受けていない人間が
この負の遺産を引きずって生きるのは枷にしかならないのではないか。
ひと時の優しさでは何も解決しないんだ。
だからブラックジョークに昇華していかに笑い飛ばすか。
争いの深刻さを数段階落とせるか。
加藤純一やおえちゃんの過激なトークは一般人には受けないらしいが、
ヘビーリスナーは慣れたもんで、おもろいだけですから。
よって「差別はもっとするべきだ。」という結論です。

