会話がエコロケーションになりがちなMiDです。
イルカが超音波で会話するやつです。
何喋ろうか考えてると口パクパクさせて、もう話終わってるんですよね。
だってさ、「お前、感性鈍いよな〜笑」とか言われたんですもん。
待ってくれよ。オレは絶対お前よりもいろんなこと考えてる。
音楽が好きだし、心も動かされやすい方だ。
もしかして、「感性」と「感情」を勘違いしてないか?
確かに私は興味ないことへのリアクションはめっちゃ薄いです。
だからそいつに聞いたんです。
「お前、感情と感性の違いを説明できるか?」
彼は口パクパクさせてました。
クソが。絡んでくんじゃねぇよ。
「感情」「感性」の違いはこんな感じです。Gemini先生、よろしくです。

比べてみると、ほんと全くの別物ですね。
ざっくり、感性はinputで/感情はoutputで働くものでしょうか。
そもそも、なぜ「感情」「感性」は同一のものだと
勘違いされやすいのでしょう。
考えられる線を書き出してみます。
・「感」の字が共通している。
・語感が似ている。
・意味の違いを理解していない。
これくらいでしょう。
すごく稚拙な洗い出しですが、多分本質的にはこれらです。
なんか似たような感じの言葉だし、違いもよくわからないから
いちいち誰も指摘しないまま根付いた、きっとそんな感じでしょう。
「恣意的」なんてそうじゃないですか?
本来の意味は「自分勝手に」というものですが
「意図的」にと勘違いされやすいですよね。
これって語彙力の成長と関連があると思うんです。
幼稚園/保育園生とか小学生の頃は
わからないものがあると、お父さんやお母さんに
「これ何〜?」となんでも聞いていたと思います。
覚える言葉も難しくないですし、
そこでインプットされたものがそのものの意味として記憶されます。
しかし中学校、高校、大学、社会人と成長していくとともに
覚える言葉はより専門的・複雑・難解になります。
わからない言葉は調べれば大概は出力されますが、
全部調べるのは時間がかかり過ぎてしまいます。
よって、なんだかわかりそうな言葉は調べずに
文脈を捉え、漢字の構成と既知の語彙から推測することになります。
「感情」は比較的、
小学校や中学校で目にする機会が多い単語かと思います。
国語のテストで「○○の気持ち/心情を答えよ」とかよくありましたよね。
※「感情」「心情」「気持ち」はほぼ同一と考えています。
でも実は「感性」は音楽や美術くらいでしか耳にしない単語ですし、
正誤判定もありませんから、あまり印象に残りません。
結果的に「感情」という言葉に「感性」が呑まれる形で
「感性」という言葉の意味を、まるで理解したと認識した状態になっている
のではないでしょうか。

