感受性の塊、MiDです。
タイトル、今ではそこまで他人のために怒ることは多くありませんが、
中学の頃は友達第一で、友達にかわって
先生とバトってたタイプです。で、必ず勝利してました。
当時から先生に、損するタイプと言われていましたが、
かなり的を得ていると思うようになりました。
いや、厳密には自分が損するというよりは、
誰も得しない結果が生まれる可能性がある、ということ。
怒る当事者/怒られる当事者/怒る非当事者の三者が登場するとします。
たとえば、人が人に嫌なことをした時に
怒る当事者と怒られる当事者が生まれます。
そしてこの発生に続いて、
怒る当事者の感情を共有する怒る非当事者が生まれます。
この瞬間は怒る当事者の気持ちに寄り添う形になるので、
怒る当事者は得をするでしょう。
しかし、時間が経って怒る当事者と怒られる当事者の間で
問題が解決する可能性があります。
ここで怒る非当事者が感情を抑えることができるのであれば問題ありません。
が、意外とホコを収められない人っていますよね。
この場合が最悪です。
ただ、負の感情がそこに残るだけ。
元を辿ればお前は誰なんだっていう。
さらに言うならば、問題が解決した時に
感情を抑えられるならば良いとは言いましたが、これも厳密には違う。
本来ならばもっと早く解決した問題だったとして、
怒る当事者の怒りを増幅させる原因にもなりかねないですからね。
YouTubeのコメ欄が良い例です。
何気ないコメントに対して誰かが吹っ掛けてケンカになります。
ここで自称有識者も沼もヴィーガンも全員参戦します。
実は最初にコメントした人の問題は解決しているはずなのに、
延々とコメントが続いて収集つかなくなりますよね。アレです。



もっと言うと、怒る非当事者は「他人のために怒る」ではなく、
「自分の怒りをぶつけるために他人を利用している」場合が多いです。
基本的に非当事者は眼中に入れないをことをオススメします。
自分が非当事者ではあるが関わる場合、悩み相談とかされた場合ですよね。
こうゆう時こそ冷静に。理を重んずる方が良い結果に繋がることが多いと思います。
他人の感情を自分に憑依させることは、かなり危険です。
絶対たる「個」を持ちましょう。

